バスの乗車拒否について。まあ、常に都合良くばかり行かないよね。相手側にも拒否権は有る
Twitterでバスの乗車拒否について話題になっていた。当の本人は心無いコメントにもショックを受けている模様。自分が思ったことを書いてみたい。
こういうパターンはしばしば有る気がする。で、こういう場合自分には商品の購入やサービスを利用する選択の自由が有るが、相手にも同様に引き受けるかどうかの自由や売るかどうかの自由があることを予め想定、認識していない。
そして、感情論や自尊心を強く感じる。自分は親切にして欲しい、して貰わないと困る。それがいつしか、当然の前提のようになっているのではないか。理想や希望と実際の現実がごちゃ混ぜに。こういう人いるよね。
なので、そういう人は、思ったように行かないと、騒ぎ出したりする。聞きたい答えはイエスのみだったり。自分にとって都合の良い展開と実際に必ずしもそうなるか、というのは違う。可能性は色々有るもの。
なので、今回のバスであれば、乗れますか?という話だよね。乗ります、では無く。
自分的には、こういうタイプはあまり理解しづらい。おそらく、思考が全然違うのだろう。しかし、これまでの人生そんなに都合の良いことばかりだったのだろうか。そうでなければ、そんな風に考えないと思うのだが。
明日の天気にしたってそうだし、相手あることはなんでもそうだよね。自分ごとでもなんでもとんとん拍子にばかり行かないのが普通。まあ、ちょっと都合よく考えちゃうクセがあるんだろうね。まあ、良い経験になったでしょ。
コメント
コメントを投稿